大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和60年(う)983号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人石川寛俊作成の控訴趣意書記載のとおり(ただし、控訴趣意第一点は事実誤認の主張に尽きる旨釈明した。)であり、これに対する答弁は、検察官小林秀春作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

一、控訴趣意第二点(訴訟手続の法令違反の主張)について

論旨は、要するに、原審が証拠として取調べた司法警察員撮影の道路交通法違反事件現場写真は、(一)警察用自動車が被告人車を速度違反車両として検挙するに当たり、緊急自動車の要件である赤色警光燈の点燈を怠ったまま指定最高速度を超えて被告人車を追尾走行し、その結果右警察用自動車備付けの速度計に表示された指針の状況等を写真に撮影し、(二)また取締りの警察官が被告人に対し、法律上提示義務のない免許証の交付を強要してこれを取り上げたうえ、その免許証を右速度計とともに写真に撮影したもので、違法収集証拠として証拠能力がないから、これを証拠として採用し、挙示の各証拠とともに事実認定の資料とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

そこで検討するのに、原判決挙示の証拠によれば、大阪府警察本部交通部高速道路交通警察隊所属警察官大瀬靖博巡査、同安藤正晴巡査部長の両名は、原判示日時場所において、警察用自動車(いわゆるパトカー。以下単にパトカーという。)に乗務して速度違反等の交通指導取締りに従事中、原判示の指定最高速度五〇キロメートル毎時を超える速度で進行している疑いの濃い被告人車を発見したので、直ちにこれを追い上げ、約三九二メートル進行した地点で、第三車線上を進行中の被告人車の左後方約二〇メートルの第二車線上に位置して速度測定を開始し、爾後二〇〇メートルにわたって同車と約二〇メートルの等間隔を保ってこれを追尾したうえ、パトカーに備え付けられた速度計のストップボタンを押してその指針を固定させ、速度測定を完了したが、その結果右速度計の指針が七四キロメートル毎時を示していたこと、右警察官両名は、パトカー備付けのサイレンを吹鳴せず、また赤色の警光燈も点燈しないまま、右追い上げを開始して速度測定を終え、右速度計の指針を確認した段階で、はじめてサイレンを吹鳴するとともに赤色の警光燈を点燈して被告人に停止を命じ、被告人車を原判示道路の第四車線上に停止させ、同所において、応援のため駆けつけた前記警察隊所属警察官阿部光夫巡査部長をして、右パトカー内の速度計の指針の状況を、そのころ被告人から提出させた運転免許証をその傍らに添えて、写真撮影させたこと、検察官は、原審第六回公判期日に、右パトカーの速度測定結果を立証するため、右写真の証拠調べを請求し、原裁判所は、同第一三回公判期日において、これを採用して証拠調べをしたことが認められる。

右事実によると、被告人車の追い上げを開始してから速度測定完了時まで赤色の警光燈を点燈しないで進行した右パトカーは、道路交通法施行令一四条の規定に照らし、右の間緊急自動車としての要件を欠いた状態で指定最高速度を超える速度で進行したもので、道路交通法二二条一項に違反するところがあったものといわなければならない。

しかし、原判決挙示の証拠によると、右パトカーは一見して警察用自動車とわかる外形を備え、かつこれに乗務していた警察官らは、長年交通取締りに従事してきた経験に基づき、進路前方に交通の危険がないことを確認しながら、被告人車の直後をこれとほぼ同一の高速度で追尾したことが認められるから、このようなパトカーの外形や走行状態などから、警察用自動車が緊急の用務に従事中であることが外形上も容易に判断できる状況にあったと認められ、これに右警察官らの運転態度を勘案すると、右パトカーの高速運転によって交通の安全が損なわれるような事態が生じたわけではなく、また測定完了と同時にサイレンを吹鳴し赤色の警光燈を点燈しているのであるから、測定時に警光燈を点燈しなかったのは専ら検挙の確実性を期するためであったと認められ、右警察官らにことさら法令の規定を潜脱しようとする意図があったとまでは認められないし、他方、これによって被告人は、パトカーが交通取締りのため高速度で追尾してくるのを予め察知できなかったという事実上の不利益を受けたに止まり、それ以上になんらかの具体的な権利を直接侵害されたものでもないことに照らすと、パトカーが指定最高速度を超える速度で被告人車を追尾進行した際、警光燈を点燈しなかった違法は、その際にパトカー備付けの速度計に表示された指針の状況等を撮影した所論の写真の証拠能力を否定しなければならないほど、重大なものであるとは到底考えられない。

次に、原審証人大瀬靖博、同安藤正晴、同阿部光夫の各証言によれば、被告人は、パトカーの指示に従って原判示現場付近に車を停止させた際、安藤巡査部長から運転免許証の提示を求められて、暫時渋る態度をみせたものの、結局説得に応じて任意にこれを手渡したので、同巡査部長らにおいてその記載等を確認し、指針が七四キロメートル毎時を指示しているパトカーの速度計とともに右免許証を写真撮影するなど、必要な措置をとったのち、これを被告人に返還したことが認められる。被告人は、原審公判廷において、「安藤巡査部長に一旦免許証を手渡したが、同巡査部長がこれを一瞥した段階で直ちに返してもらい、その後同巡査部長から再び免許証の交付を求められてこれを拒否したところ、その場にいた数名の警察官らに威圧的な言動を示されてやむなく免許証を交付し、その後も再三返還を求めたが、警察官らはこれに応じないで免許証を保持したうえ、写真撮影に及んだ。」旨所論に沿う供述をするけれども、安藤巡査部長が被告人を説得して交付を受けた免許証をその場で一瞥しただけで、必要な措置もとらないうちに直ちに被告人に返還するとは考え難いこと、また当時その場にいて被告人に同調して警察官らに種々反論していた被告人車の同乗者Aが、被告人が警察官に対して行っていたという再三の免許証返還請求を全く認知していないこと(原審証人Aの証言によって認める)などに照らして信用することができず、他に警察官らが被告人に対し、所論のように免許証の交付を強要したことを窺わせるような証拠は存しない。

なお付言するに、所論の写真は、パトカー備付けの速度計の左横に被告人の運転免許証を並べて撮影したものであるところ、検察官は右速度計による測定結果を立証するために右写真の証拠調べを請求したのであるから、右速度計の撮影部分を証拠とする趣旨であることが明らかであり、右免許証の撮影部分は右速度計と事件との関連性を判断する資料としての意味を有するものと解される。そして、所論の写真は、右免許証が撮影されていることによってそれ自体で本件との関連性を認めることができるのみならず、原審証人阿部光夫の証言によってもその関連性を肯認することができる。

したがって、所論の写真の証拠能力を認めてこれを証拠として取調べた原裁判所の措置に所論のような訴訟手続の法令違反は存しない。論旨は理由がない。

二、控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について

論旨は、要するに、原判決は、被告人が原判示の指定最高速度五〇キロメートル毎時を超える七四キロメートル毎時の速度で普通乗用自動車を運転したと認定したが、被告人の当時の速度は六〇キロメートル毎時程度であり、右認定は、信用性のない原審証人大瀬靖博、同安藤正晴の各証言を採用したことによるもので、事実を誤認したものである、というのである。

そこで、記録を調査して検討するのに、原判決は、挙示の証拠、ことに原審証人大瀬靖博、同安藤正晴の各証言に基づいて原判示事実を認定したものであることが明らかであるところ、右各証言の要旨は、「原判示日時ころ、パトカーに乗務して交通の取締りに従事していた大瀬巡査(運転者)及び安藤巡査部長(助手席に側乗)は、いわゆる四ッ橋入路から原判示の高速環状線に進入し約四〇キロメートル毎時の速度で加速車線を進行していた際、後続する四、五台の他車を引き離して目測七〇ないし八〇キロメートル毎時の速度で北進する被告人車を右斜め前方約一五メートルの本線車道第三車線上に現認し、速度違反の疑いが濃厚であると認めて直ちに加速しながら本線に進入し、第一車線から第二車線へ移行しながら被告人車を追跡し、約三三二メートル進行した第二車線上で第三車線を進行中の被告人車の後方約六〇メートルにつけ、同車の速度に合わせるための微調整を行いながらさらに約六〇メートル進行した地点で、引き続き第三車線上を進行する被告人車の左後方約二〇メートルに位置する状態で速度の測定を開始し、そこから二〇〇メートルの間被告人車と等速進行したうえ、パトカーに測定用として備え付けられた速度計のストップボタンを押してその指針を固定させたところ、その指針が七四キロメートル毎時を示していたので、赤色警光燈をつけるとともにサイレンを鳴らして被告人車を追跡し、右測定完了地点からさらに約一二〇メートル進行した第四車線上に被告人車を停止させた。」というのであって、右パトカーの速度計の指針が七四キロメートル毎時を示していたことは、原判決挙示の証拠によってこれを認めることができる。

所論は、司法警察員作成の「交通量の捜査について」と題する書面に引用された阪神道路公団所蔵の交通管理統計によって推測される当日同時刻ころの本件現場付近の交通量に照らすと、パトカーが右証言のとおりの速度と方法で被告人車を追尾測定することは、それぞれ進行していた各車線上の先行車に妨げられて不可能であることが計算上明らかであるから、右証言は信用できないというが、所論の計算は、午後八時から一〇時までの二時間における右統計上の進行車両合計八五五二台が、右時間帯において終始各車線上に均等にかつ前後同一間隔を保って進行した場合を想定したもので、当時の具体的な交通状況に基づく主張ではなく、当審における事実取調べの結果をあわせて検討しても、「被告人車を追い上げているとき、同車及びパトカーの進路前方には約一〇〇メートル先まで他車の通行がなかった」旨の原審証人大瀬靖博、同安藤正晴の各証言に格別不自然不合理な点を見出すことはできず、所論の計算に基づく仮定的な数値を根拠に直ちに前記証言の信用性を否定することはできない。

次に所論は、原審証人大瀬靖博、同安藤正晴の各証言のうちパトカーが被告人車を発見して追い上げた状況について供述する部分は、到底ありえない事柄を述べるもので極めて不合理であり、このことは、同証人らが被告人車を最初に発見した際に同車に後続していた四、五台の車両と、パトカー及び被告人車の各位置関係、速度などを、同証人らの供述に基づいて特定したうえ、その証言する右状況の可能性の有無につき計算を試みれば明らかであって、この点からも同証人らの証言は信用できない、というのであるが、所論の試算は、右四、五台の車両とパトカー及び被告人車が、いずれも加速車線と本車線との合流点の手前一〇〇メートルの位置から同時に発進し、かつそれぞれ所与の一定の速度、すなわち右四、五台の車両は五〇ないし六〇キロメートル毎時、パトカーは九〇ないし一〇〇キロメートル毎時、被告人車は七四キロメートル毎時を終始維持しつつ進行したものとして算定されたものであるところ、右証人両名の各証言によると、右四、五台の車両はパトカーが右所論の位置にいたとき、それよりもさらに後方に位置していたこと、また被告人車は、そのとき右パトカーの位置より約一五メートル前方の本車線上を、パトカーをはるかに上回る速度で直進していたこと、パトカーは、右所論の位置にいたときは四〇キロメートル毎時の速度で加速車線上を進行中であり、その後加速しながら本車線に入って被告人車を追跡し、その速度が頂点に達した時点で九〇ないし一〇〇キロメートル毎時程度に達したことが認められるのであって、所論の試算は、右認定事実と異なる前提を随所に採用しているのみならず、全体として関係車両等の具体的な動向ないしその可能性を捨象して抽象化するなど、あくまで仮定的な試算に止まるものというほかなく、これをもって直ちに前記証言の信用性を否定する根拠とはなしえない。

その他、前記証人両名の証言は随所に矛盾する部分があって信用できないとの所論については、その指摘する矛盾は、供述の際の表現の不正確さや記憶違いなどに由来すると認められるものであって(例えば、所論は、右証人両名の警察官に対する各供述調書写では、両名とも、一〇〇メートル先に先行車を確認した地点は「追い上げ開始地点」であると供述していたことが明瞭であるというのであるが、右各供述調書における供述の趣旨は、「追い上げ開始地点」をいうものではなく、むしろ追い上げ中の状況を述べているものと解されるのであって、そうであれば右両名の原審公判廷における各証言との間に矛盾があるとはいえない。また、安藤巡査部長らが被告人車を最初に発見した地点から同車の速度測定を開始した地点までの距離が四〇〇メートルであることは、司法警察員作成の実況見分調書抄本によって明らかであるから、安藤正晴の検察官に対する供述調書写中、右距離を二〇〇メートルと説明している所論の供述部分は、それが右実況見分調書添付の現場見取図に基づく供述であることなどに照らすと、右距離についての単なる表現上の誤りにすぎないものと認められる。)、所論にかんがみ記録を調査してみても、右両名の証言は、被告人車を発見してからこれを追跡してパトカー備付けの速度計によりその速度を測定し、原判示のとおりの速度違反の嫌疑で被告人を検挙するに至るまでの事実経過の大筋において一貫性があり、その骨子をなす部分に特段の矛盾齟齬を見出しえないから、所論指摘の矛盾は右証言の信用性に影響を及ぼすような性質のものとは認められない。

以上のとおり、原審証人大瀬靖博、同安藤正晴の各証言の信用性を争う所論はいずれも採用のかぎりではなく、他に記録を調査しても、右各証言の信用性を疑わせるような事情は見当らない。

一方、被告人は、捜査及び公判の各段階を通じて原判示の速度違反の事実を否認しているが、当時の被告人の速度について、捜査段階では、「五〇キロメートル毎時位であり、それが指定最高速度であることは、いつも本件道路を仕事で通るのでよくわかっていた」旨述べていたのに対し、原審公判段階に至って、六〇キロメートル毎時位と供述し、「パトカーのサイレンを聞き赤色燈を見た直後、自車のメーターを見たら六〇キロメートルちょっとを指していた。制限速度は六〇キロメートル毎時と思っていた」旨明らかに矛盾する供述をしているほか、本件で検挙された際に警察官からパトカー備付けの速度計を見るよう求められながらこれを拒否した理由について述べる部分など、にわかに首肯しがたい供述部分も少なくなく、また被告人の供述とほぼ同旨の原審証人Aの証言には、随所に矛盾やあいまいな供述部分が存在し、被告人の右否認の供述及びこれに沿う原審証人Aの証言は信用しがたいものというほかはない。

そうすると、原審証人大瀬靖博、同安藤正晴の各証言及びこれを裏付ける関係証拠に基づいて原判示速度違反の事実を認定した原判決の判断は正当として是認することができ、当審における事実取調べの結果を参酌しても、この結論は変わらないから、原判決には所論のような事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原田直郎 裁判官 谷村允裕 河上元康)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例